突然ですが、本日サラリーマン時代にお世話になった会社会長の訃報を聞き、葉山へ弔問に伺いました。

会長に最後に会ったのは、3月に行われた結婚披露の会でした。

不義理なY氏は、会長とは1年くらいお会いしていなかったのですが、その際、今度話に伺いますと言ったきり、今日を迎えてしまいました。

忙しさにかまけて事業を何もしていない自分が恥ずかしく、会長に会いに行けなかったのですが、今思えば、そんなことはどうでもよく、会いに行くべきだったと悔やんでも悔やみきれません。

久しぶりに奥様と話しましたが、明るく気丈に振舞われていたのが、かえって痛々しかったです。

会長とは、新入社員の頃から、船のクルーとしても付き合いがありました。

海が大好きな方で、毎週のように海に出ていました。

その時のクルー仲間と弔問に訪れていたので、誰からともなく、クルーザーが留めてある佐島に行こうか、となりました。

実は、会社を退職してから、ほとんど訪れていなかった場所です。

久しぶりに訪れた佐島マリーナ は、昔とちっとも変わりません。

以前、乗っていたBEACON号は、今も同じ場所に留まっていました。

ただ、すでに持ち主が変わっているため(会長は新艇を調達したばかりだったのです)、名前は違っていましたが、姿は変わりません。

思わず、懐かしさのあまり涙が出そうになりました。

そして、近くには調達したばかりの新艇がありました。

まだ、試運転中だったと聞きましたので、さぞ無念だったと思います。

たまたま、係の人がいましたので、事情を説明したら、何と中を見せてくれました。

写真の通り、BEACON号に比べると3倍はあります。

何もかもがゴージャスで、いかにも会長らしい仕様になっていました。

新艇には、魚群探知機だけでなく、浅瀬もわかるレーダー付きです。

内装も凄かったですが、主寝室には帽子がかかっていました。

それはいつも会長が被っていた帽子。

まるですぐにも取れるといった格好でかかっている様をみたら、泣けてきました。

もう、会長がこの帽子を被ることはありません。

でも、この船はいつでも出られるように、マリーナの人が整備しています。

このマリーナで会長のことを知らない人はいません。

海を愛する会長は、海を愛する人なら誰からも愛されていました。

春夫会長、ようやく自分も事業を起こそうと動き始めました。

心配をおかけしましたが、また報告に伺います。

今度は大好きな海の上で、話をしましょう。

本当にお世話になりました。